2016年2月29日月曜日

野菜スープ

土曜の夜にうちで飲み会をしたとき、ワインとチーズを沢山手土産でいただいたので、残ったチーズを消費するため日曜朝はチーズ入りマッシュルームオムレツを作りました。マッシュルームがごろごろで、ハーブ(シブレット)もたくさん入れて、チーズだけじゃなかなか食べきれないけれど、オムレツにするとぺろりと食べれてしまう。




あとは胃にやさしめのお料理を(飲みすぎたわけではなく、寒い日だったので)、と思ってマルシェで買った沢山のオーガニック野菜をスープに。
毎回オーガニック野菜にこだわって買っているわけではないけれど、やっぱりしみじみ身体にやさしいなと、特に煮込んでみるとしみてくる。
玉ねぎ、にんじん、大根、じゃがいも、ブロッコリーと、チキンハムをみんなさいの目に切って煮ただけ。こんなのばっか作って食べてる。。

真っ黒の皮だけど、中は普通に大根 :radis noir
胃にやさしい野菜スープ(水分少ない・・)

2016年2月26日金曜日

冬休み

本文とは関係のない、オペラ座
今週は、パリの学校がお休みなので、職場も人がまばらだし(課にもよるけれど、大体出勤率50%近いところも(って、それはまさに我が課)・・大丈夫か?とやや心配になるレベル)、街も人通りが減って、路上駐車スペースも余裕が出てきているので、雨が降っていたり疲れていたりすると電車で通勤していたところを車に切り替えました。元気でお腹いっぱいでちょっと運動しなきゃ、というときは相変わらず片道30分かけて歩いています。
30分かけて歩くというと、特に日本人からはちょっとびっくりされ(こないだは「健脚ですね!」と後輩に言われて、それに対してすかさずその上司が「お前、それは年寄りに言うセリフだよ。失礼だから!かくしゃくとされていますね!みたいな感じだぜ」と注意していて、言われた私もなるほどーと勉強になったのでした・・)、主にヨーロッパ人からはそれはいいね、と同意される。雨が降っていてもジョギングしたり自転車通勤する人たちなので、30分徒歩通勤なんてまさに朝飯前的な感じなのでしょう。

それにしても、やはりこちらに来て働いてみて改めて実感する、日本との働きスタイルというか、人生スタイルの違い。
特にフランスは学校の休み期間が長く、こないだクリスマス休暇があったばかりと思ったら、今度は冬休み(年末年始が冬休みかと思っていたら、それはクリスマス休暇で、この2月の休みが正真正銘の冬休みらしい)で、また2週間もお休み。
2か月ごとに2週間休むなんて、どんなハードな仕事(学業)をしたご褒美なのか。でも、これでも夏休みが短くなったと文句を言う人もいるらしい。フランスでは、欧米ではスタンダードなクリスマス(12月)やイースター(4月)の休暇に加えて秋休み(10月)や冬休み(2月)もそれぞれ2週間ずつ休むから、夏休みが6月開始ではなく7月開始となったとか。というか、7-8月びっちり2か月間休めるのも日本からすると相当長めですが・・。

ということで、子供の休みに合わせて親が休む。こんなの日本ではあまり考えられないと思うのだけれど、みんな当然のごとくまるまる1週間休んで、スキー場のコテージを何か月前も前から予約していたり、海外旅行に行ったりしている。
単純に休みが多くてうらやましいなあとも思うのだけれど、生産性がこれで落ちていたら話にならないが、みんなパパッと仕事をしてささっと帰っていくのが日常で、休暇もちょびちょび休まずにガーっと働いて1週間単位でざくっと休むし、集中することで成果はきっちり出している。
日本では、どうしても仕事の量も多いし(慢性的人手不足)、拘束時間も長いし(結果無駄になる待機や、上司に気兼ねして残るパターンなども含め)、日々の疲れが溜まり、祝日などで1か月に1回は平日に休めるとホントにありがたく思えた。

それが当たり前だと思っていたし、まあ体力もそれなりにあったからとにかく力任せにやれば何とかなるだろうという、およそスマートとは言えない泥くさーい仕事の仕方だったのかもしれない。。
短い時間で同じような成果を出し、余暇は精神的にも肉体的にもリフレッシュする時間とするなら、経済もまわるし循環機能としては極めて正常かつ効率的だし、人生をドライブととらえれば、少なくても良質なガソリンで長く走る車が理想の車ということだろうか。
そうすると、日本はとにかくドロドロの燃料を沢山入れて、排気ガスを出しまくりながら走る疲れ切った長距離バスやトラックのようなものだろうかと、ついつい考えてしまう。


一方で、やはり特に語学などで遅れというかハンデがある日本人は勤勉でないと、欧米列強には勝てないのよ!と近代明治の留学生のような心持ちにもなる(というか、妄想するだけ)。
この間NHKスペシャルでやっていた司馬遼太郎のこの国のかたち特集で、フランスに留学した古市公威という土木系の役人は、「わたしが1日休めば日本が1日遅れるのです!」と言って死にもの狂いで勉強していたとか。。そんな引き合いに出すのも恐れ多いし、そんな時代でもないのだけど、この土地でほんの100年ちょっと前にそんな日本人がいたのだと思うだけで泣ける。
泣くだけじゃ意味ないですけど。



2016年2月18日木曜日

海外へのお土産

今朝のパリは雪がちらついています。
濃い目の背景がないと雪が降っているとは認識できないほどで、黒いコートを着ている人の背中を目を凝らして見るとようやく微かな雪を発見する、という程度ですが。。

例年に比べれば暖冬で、最近は日が少しずつ伸びてきて、身を切るほどの寒さはもうほとんどなく、南仏ではそろそろミモザのお祭りが始まるというこの頃とはいえ、雨露しのげない暮らしはどんなだろうかと、難民キャンプの惨状を思わずにはいられない。
先日私がノルマンディーの断崖まで行ってお気楽な観光をしていたその頃、同僚(イギリス人女性)はそのすぐ先の「ジャングル」と言われるカレーの難民キャンプに行ってボランティアをしてきて、今足りていないもののリストを翌週全員宛メールに送り、支援を呼び掛けてきた。また週末に戻ってボランティアをするからすぐに届けられるとのことで。足りないものリストはとても具体的で、防水の上着、手袋・帽子、男性用ブーツ(サイズ指定)、フリース、ブランケット、下着、大きな鍋、などなど。人道支援ってどこから手を付けたらいいのか、終わりの見えないような状況でどこまでやればいいのかわからなくなるけど、「これとこれが足りないからあなたに余裕があればこちらにまわして」と言われれば、しかもオフィスとか学校とか毎日通うところで言われれば、アクションを起こすことがたやすいように思える。そして、改めて自分が今持っているものの中から必要なものを見直すきっかけになる。本当に必要なもの以外は、余剰ということなんだと。余剰をシェアすることで社会的効用が上がるのならば、こんなに有益なことはない。
それもほんの微かな雪の一粒くらいなもので、膨大な人数と果てしない時間が経過しているシリアなどの惨状を思うととても光を見出すことができないのだけれど。。



さて、重たい話題から標記の軽い話題へ。

先日日本から出張者が来て内輪の会食をした際に、お土産談義となり、それぞれのお土産哲学みたいなのが垣間見えて興味深かった。長年海外を行ったり来たりの仕事をしていると、それなりに研究が進むというか、人それぞれのこだわりやツボみたいなものがあって、そういうのを聞いていると今更ながらの発見もある(我ながらかなり研究してきた自負はあるので・・笑)。

まとめると以下の3つかな。

①地方推し
なぜか男性に多いパターンなのだけれど、地方の銘品を海外土産にするのを最近よく見かけるというか、実際にいただいている。先日いただいたのは、岩手のおせんべい。東北震災支援の一環で、海外土産は東北のものを選ぶようにしているということでした。さすが。

あとは最近温泉旅行(うらやまし!)に行ったからと、房総の海苔佃煮の瓶詰とか、島根の実家に帰ったばかりだからと、真空パックのシジミお味噌汁とか。
東京にいても嬉しいお土産なんだろうけれど、どれも素朴で美味しいし、裏にストーリー性があり、話題が広がるのが二度おいしい。

②定番の再発見
あまりに古くからある馴染みの品すぎて、わざわざお土産にするなんてあまり思いつかないけれど、「歌舞伎揚げ」とか「ハッピーターン」などの駄菓子は国籍問わず、どこでも喜ばれるのだとか。気軽に配れるし、会議とかの場で一緒につまみながら、ざっくばらんに意見交換すると結構ウケて、病み付きになる人もいるのだとか。

③ニーズ徹底調査
とにかく何が足りていないのか、日本製にこだわるのは何かと、事前に聞きまくる。急に聞かれても特に思いつかない(私は咄嗟にサランラップと綿棒と入浴剤を頼んでしまった。十分思いついてるか。)かもしれないけれど、さりげなくみんなでご飯食べている時に、生活で日本との違いを感じるのはどういうところか?などの話題を出して、そこであがった物などを次の機会にお土産として持ってくるとか(このパターンで持ってきてもらったのが、オシャレ着洗いのエマール)。

もちろんもらう側としては何でもありがたいのですが、もらいながらも自分があげる側になった時の参考にして積み重ねるお土産哲学は詰まるところ自己満足以外の何物でもないと、自覚しつつ。でも、ひとつの研究分野として、これからもウォッチングを続けようっと。


2016年2月8日月曜日

反動の週末③(第1日曜日)

エトルタとルーアン日帰りドライブは土曜日。もう一つの週末、日曜日は第1日曜日ということで、月に一度の美術館無料デーを利用して、タダであればちょっと覗いてみようかなと(失礼・・)思っていた美術館を梯子してみました。


まずはオルセー美術館の館長が一番好きな絵はギュスターヴモローだと語っているのをどこかの雑誌で読んで、ちょっと興味を持ったギュスターヴモロー美術館。モンマルトルの丘のふもとにあり、ちょうどこれもいつか行こうと思っていたパリのバゲットコンクール2015年グランプリに輝いたパン屋の近くでもあるので、またどちらが主目的かわからない「ついで」巡りで。

ちなみにバゲットは納得の美味しさでした。もっちり感とか塩気とかバターの香ばしさとかに特に何か目立ったというかとがったところはないのだけれど、しっかり基本に忠実に美味しい素材を素直に引き出していますという感じで、フランスでは結局こういう仕事をする人が評価されるのだなと、いい意味で少し驚いたというか新鮮に感じた。美味しいものを作って正当に評価されて、スタッフもお客もみんなが笑顔で背筋がピンとしていて、こういうのはまさに相乗効果というか、ミシュランの星獲得にかけるレストラン業界のシビアな話もよく聞くけれど、やっぱり非常に意義が高いと思う(月並みな表現ですが)。



さて、ギュスターヴモロー美術館は、モローが実際に暮らしていた家をまったく掃除せずにそのまま展示しているという印象・・階段のでこぼことか、家具についているほこりとか、照明の暗さとか、もう少し何とか整理したらいいんじゃないかと余計なお世話で思ってしまうけれど、逆にこの時が止まったようなリアル感をありがたいと思うべきなのか。絵も私の趣味では決してなく、スピリチュアル系というかサイケデリック系というか、もう少しグロさを薄めたら日本人が大好きなクリムトとかに近い世界かもしれないけれど、どちらかというと曼荼羅だよなあと、オリエンタリズム(インドの象とかガンダーラ美術のモチーフが随所に使われている)の影響もフランス人がはまるとこういうことになるのね、と漫画オタクの多い現代フランスの原点を見たような気持ち。

まるでファンタジー小説の表紙のような作品(他のはもっとおどろおどろしいのが沢山)

どちらかというと、初めて知ったのだけれど、モローが印象派の先駆けとして、マティスやルオーらの師として国立美術学校で長年教鞭をとっていたということで、特にルオーとはかなり緊密な師弟関係で互いに影響を与えあったとの解説つきでルオーの作品とともに特設で並べて展示されていたので、ルオーの方が好きだなと思いつつ、その師匠の絵という視点で見ると感心させられる、という感じでした。こんなにマニアックな絵を描く人なのに、権威ある国立美術学校で何人もの有能な若い画家を育て、そして彼らから非常に慕われていたというのが意外。ピカソの絵は好きだけれど人間性は酷評されているのと対照的だなあ、って、実際の人物に会ったわけではないから何とも言えませんが。

右上がモローで左下がルオー
売店にはモローにまつわるカタログや本が並べられており、その中には日本語の本もいくつか置いてあった。やはりフランス文化への造詣という意味では、日本人は世界でも抜きんでているというか、層が非常に厚いのだろうな。フランス文化に限らず、あらゆる分野で突き詰めて勉強しようと思えば文献にしろ情報がいくらでもそろっている環境がある日本は本当に恵まれているのだと、外へ出てなお一層気づかされる。


次に向かったのは、結局タダではなかったのだけど、ジャックマール・アンドレ美術館。タダじゃないならまた今度にしようかなと思いつつ、入り口で見たポスターに「ノルマンディーの印象派展」と貼ってあるのを見て、昨日の今日でタイムリーすぎる!とこれはせっかくだから見ていこうと入ったのですが、実はこの特別展示、3月から始まるという予告だった・・というオチ。まあでも、入場チケットにイヤホンガイド代(日本語あり)も含まれていて十分勉強させてもらえたので、文句を言う筋合いはないのですが。

ジャックマール・アンドレ夫妻はかなりの資産家で美術コレクターとして自分たちのお屋敷を集めた美術品で豪勢に飾り立て、それが後世にそのまま美術館として残っているのだから、なんて幸せな人生だろうか。また、夫妻は旅行が好きで毎年必ずイタリアに行き、家具もベネチアから取り寄せたものだったり、部屋中集めたイタリア美術で埋め尽くすほど(これが無秩序というか独特のセンスで好き放題に飾りまくっていて、圧倒される)だったり、エジプトやアジアなどにも足を伸ばしてすっかり魅了されて工芸品を集めていたり、その時代の旅行は今より不便なこともたくさんあるのだろうけど、どんなにか豪勢でロマンチックだったのだろうかと思いをはせてしまう。パリには今もジャックマール・アンドレ夫妻のような人たちがわんさか住んでいそうだけれど。

イタリア美術を展示した間


反動の週末②(ルーアンの大聖堂)

エトルタに行った後、パリに帰る途中に寄り道してノルマンディーの州都、ルーアンへ。

最近少しはまっている中世の教会建築にわか勉強で得た豆知識によると、ゴシック建築の宝庫である北フランスの中でも、ルーアンの大聖堂は装飾がとても精緻なフランボイヤン様式の代表作なのだとか。モネが何枚も描いたように特に夕陽がその色を刻々と変えて建物を照らす様は、息を呑むような美しさだった。尖塔はフランス一高いのだとか。










街全体は、セーヌ川の河口ということで流通の要なのか、川沿いは大きな倉庫がたくさん並び、ちょっとボストンの町並みを思わせる雰囲気。現代のルーアンは石油化学や繊維などの工業都市らしく、発展して景気も良さそう。

でも大聖堂を中心とした旧市街は中世の木組みの建物がそのまま残って商業店舗として使われていて、歩いていてとても面白い。パリからは片道1時間ちょっとで来れるので、きっとまた来よう。今度は美術館やジャンヌダルクの処刑跡地も確かめたり。。




でも、やはり食に心残りが。。このケーキ屋さん、いかにも絶対美味しそうな店構えで、フランスでは珍しく行列ができていたのです。並んでる時間はなかったので断念したけれど、次回はぜひ!





2016年2月7日日曜日

反動の週末①(ノルマンディーの断崖絶壁)

少しご無沙汰してしまいました。風邪は完全復活。しつこかった咳(ゲホゴホゲホゲホ!という、断末魔のようなすさまじい叫びを所構わず浴びせてしまい、何度振り返られたことか。。)もようやくなりを潜め、正常モードに。
パリは最近全然寒くなくて、結局「これがパリの冬よ」と言われた期間は正味2週間もなかったのではないかと。このまま春に突入するのだろうか。soldeでいいコートがあれば買おうと思ってたけど、なんかやる気をなくしてしまった。
春が来るのは待ち遠しいけれど、なんかこんな冬で良かったのかな・・と。もっと冬の厳しさと散々向き合ってからの春の方がありがたみが増すのにな、なんて、あまのじゃく的な発想か。

その反動的現象でというか、動と静が入れ替わるかのように、今週末はいろいろと行きたかった場所に足を伸ばしてみました。

季節問わず海より山派だなあと年を重ねるごとに思いを強くしつつありますが、たまには海も見てみたい(というかシーフードが食べたくて!)ということで、パリから片道2時間くらいで行けるノルマンディーの海へ。
ノルマンディーといえば、第二次世界大戦の連合軍が勢いを増すきっかけとなった「ノルマンディー上陸作戦」。イギリスとの海峡が最も近いカレーの岬では、難民が押し寄せて簡易キャンプを作っているところに暴動や襲撃や火災やらで「ジャングル」と言われるほど治安がひどいことになっているというけれど、そこまで行かずにパリから西にまっすぐ進んだ港町のドーヴィルやトルーヴィルなどは昔から高級リゾート地で、パリの高級ブランド・ストリートがそのままノルマンディー風建築の外見にだけ着替えてきたようなところもあるという。オンフルールという可愛い港町もあるというし、ル・アーヴルという少し前に話題になっていたカリウスマキ監督の映画(見ていないけれど・・)の舞台になった街もあるし、どこに行こうかなと少し調べて結局目星をつけたのが、ルパンの奇巌城の舞台になったという、断崖絶壁の景勝地「エトルタ」。

お天気はあまりよくなかったし、とにかく強風で、断崖絶壁の淵に立つとまさに吹き飛ばされるのではないかというすごい恐怖体験ができる(まあそこまでじゃないか)日でしたが、ダイナミックなパノラマが広がる光景は聞きしにまさる、たくさんの画家を魅了してきた場所というのに納得。特に美術館で見たクールベの絵は冬の灰色の空がちょうど同じ雰囲気で、後から思い出すと絵と実際の風景がオーバーラップするような感じでした。

カモメが断崖の上、強い風が吹き付ける中、むしろそれを楽しんでるかのような悠然とした雰囲気を漂わせていたのも印象的。



教会の扉は閉められていたけれど、まるで灯台のように全てを見守って行き先を照らしているのだろうか。
何かに立ち向かっているかのような断崖絶壁は、冬の方がドラマチックな感じがする。と言いつつ、思わず頭の中では2時間ドラマのクライマックスで犯人が告白するシーンがついつい浮かんでしまい、我ながらなんたる稚拙なというか低俗な想像力たることか。


しかし、個人的なクライマックスはやはり食であった。
フランスに来て初めての牡蠣。パリでもそこら中の街角ビストロでさんざんお目にかかっているけれど、なかなか実際食べる機会がなくて、満を持しての。やはり牡蠣はうまい、の一言に尽きます。たまに食べるからのスペシャル感。また少し間を置いてから食べようと、勝手に心に決めておく。